ボールト指揮のブゾーニ『ファウスト博士』ついに発売!

10年ぐらい前に一度だけ某中古LP屋のカタログにBBC Transcription盤が出ているのを見て注文したのですが、取り逃してしまい、私にとっては幻の一組となっていた録音です。それがついにLPOレーベルから出ることになりました。

以下、グッディーズのメルマガより転載。

<LPO>
LPO-0056 \2080
フェルッチョ・ブゾーニ:歌劇「ファウスト博士」(演奏会用短縮版)
1-3.序幕1/4-5.序幕2/6-9.第1の情景 /10.交響的間奏曲/11.第2の情景
/12-16.終りの情景
ファウスト博士…D.フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
メフィストフェレス…リチャード・ルイス(テノール)
ワーグナー…イアン・ウォーレス(バス・バリトン)
パルマ公妃…ヘザー・ハーパー(ソプラノ)
パルマ公…ジョン・キャメロン(バス)
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団&合唱団
アンブロジアン・シンガーズ
ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック合唱団
エイドリアン・ボールト(指揮)
録音 1959年11月13日ロイヤル・フェスティヴァル・ホール
ブゾーニの(1866-1924)畢生のオペラ「ファウスト博士」は、20世紀の歌劇の
中でも、極めて特異な作品の一つとして知られています。この作品は、良く
知られたゲーテの戯曲ではなく、彼自身がほぼ20年に渡って、様々な素材か
ら歌詞を求め、台本から作り上げたもの。しかし1924年に作曲家が死去した
ことで未完成のまま残され、弟子のヤルナッハによって、その翌年に補筆完
了されました。この1959年の録音は、フィッシャー=ディースカウとエイド
リアン・ボールト卿による短縮版で、この曲の世界初演記録となるものです。
この曲をBBCで最初に放送したジョン・エイミスによるブックレットには、
彼ならではの演奏者たちへの賛辞、考察が述べられており、録音当時の放送
メモには、作品への深い洞察も伺い知ることができます。アーカイヴとして
も貴重なものです(英語のみ)。

2011年6月のコンサート

会場はすべてザ・シンフォニーホール

6/5 Sun 15:00 アレクサンダー・ガヴリリュク(pf)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 「月光」 op.27-2
ショパン:幻想即興曲 嬰ハ短調 op.66
ショパン:2つの夜想曲 op.48
ショパンスケルツォ 第1番 ロ短調 op.20
−−−休憩−−−
ラフマニノフ:楽興の時 op.16
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 「戦争ソナタ」op.83
(以下アンコール)
スクリャービン:練習曲Op.2-1
フィリペンコ:トッカータ
ラフマニノフ=コチシュ:ヴォカリーズ

とにかくうまいし、音がきれいだし、歌心もある。やっぱりこの人はいいです。こういう演奏会を聴くと、今のピアノ界、実力のある人は確実に、しかも結構たくさん出ているんだなという気がします。ラフマニノフが特に良かったです。アンコールは他のところより少なかったみたいですね。

6/17 Fri 19:00 クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 大阪フィル定期*
ルトスワフスキ:小組曲
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲 第2番 作品61(ヴァイオリン:諏訪内晶子
バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番〜ラルゴ(アンコール)
ストラヴィンスキー:バレエ組曲火の鳥」(1945年版)

2年前にショスタコーヴィチの10番の名演(と、ショパンの協奏曲)を聴かせてくれたウルバンスキですが、今回もポーランドとロシアの作品。ルトスワフスキは当然生で聴くのは初めてでしたが、楽しい曲です。大フィルもなかなかキレのいい演奏でした。シマノフスキの2番は、この作曲家らしい謎っぽい美しさたっぷりの名曲。諏訪内さんのヴァイオリンは相変わらずうまいです。ぜいたくを言えば、この曲にはもうちょっと耽美的な歌があるほうが好みではあるんですが、ぜいたくすぎるか。火の鳥はちょっと珍しい45年版。すみずみまでコントロールの行き届いた見事な演奏でした。ウルバンスキ、また来て欲しいけど、あっという間に手の届かない大スターになる可能性もありますね。

6/23 Thu 19:00
尾高忠明指揮 関西フィル定期 宮田 大(vc)
リャードフ:魔法にかけられた湖
ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番
ラフマニノフ交響曲第1番

リャードフはきれいな曲なんですがあんまり演奏されないですね。何年か前にボレイコ指揮PMFで聴いて以来でした。関西フィルは洗練されたいい音を出してました。ショスタコーヴィチの宮田さんはうまいですねー。別の曲でも聴いてみたいです。ラフマニノフは珍しい曲を聴けてありがたかったし、尾高さんの引き締まった指揮もよかったんですが、ホルンがちょっと不調でした。ショスタコーヴィチもですが。

6/24 Fri 19:00
下野竜也指揮 大阪響定期 上森祥平(vc) 野田清隆(pf)
矢代秋雄:チェロ協奏曲
矢代秋雄:ピアノ協奏曲
フランク:交響曲

矢代秋雄の2曲はすごい名曲だと思うんですが、生で聴くのは初めて。上森さんは大阪フィルの客演首席でおなじみの人。どちらも良かったです。野田さんの弾くピアノ協奏曲はかなり熱く盛り上がる演奏でした。中村盤とはまた違って新鮮。後半のフランク、もちろん名曲だとは思うんですが、さほど思い入れがあるわけでもなく、矢代のおまけぐらいのつもりで聴いたんですが、これがすばらしい名演でした。とにかくオーケストラの一体感がすごくて、この曲のうねるようなエネルギーとか複雑な声部の絡み合いのおもしろさとかを非常に生々しく感じました。

2011年5月のコンサート

5/10 Tue 19:00 児玉宏指揮 大阪響
リヒャルト・シュトラウスクレメンス・クラウス編):歌劇『ダナエの愛』〜交響的断章
同:交響詩死と変容
ミャスコフスキー交響曲第24番

 やっぱりこの日はミャスコフスキーが白眉でした。最初のファンファーレも決然としてましたし、その後の堂々とした歩みも良かったです。ちょっとブルックナー風でしょうか。『ダナエの愛』はあんまり演奏されないですがいい曲なので、聴けてありがたかったです。

5/18 Wed 19:00 マルク・ゴレンシテイン指揮 ロシア国立響
グラズノフバレエ音楽『ライモンダ』〜3曲
ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番(独奏:アレクサンドル・ブズロフ)
ラフマニノフ交響曲第2番
ラフマニノフ:ヴォカリーズ(アンコール)

 一番印象的だったのが、ゴレンシテインの指揮振りでした。とにかく終始手をひらひらさせながらの指揮で、ちょっと他にこういう指揮をする人は記憶にありません。「ロシア国立」というと、ものすごくでかい音という印象がありますが、むしろ柔らかい音でした。ライモンダはきれいな演奏ですが、曲があんまりいいと思わないので…。ショスタコーヴィチソリストは、予定されていたクニャーゼフがキャンセルで変更になったんですが、ブズロフという人もうまいです。ただ、ちょっと威勢が良すぎる感はあったかな。ラフマニノフは普通にいい演奏。

5/20 Fri アレクサンダー・リープライヒ指揮大阪フィル定期*
プロコフィエフ:古典交響曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K466
シューマン:『森の情景』〜予言の鳥、別れ(アンコール)
プロコフィエフ:アレクサンダー・ネフスキー
アンデルジェフスキ(pf)
小山由美(a)
大阪フィルハーモニー合唱団

アンデルジェフスキがすばらしかったです。とにかくあんなに繊細なピアノはなかなか聴けるもんじゃないですね。ここぞというときに使う弱音がまたいい。シューマンのアンコールも最高でした。アレクサンドル・ネフスキーは緩急を大きく取ったメリハリの効いた演奏。こういう曲だからこれでいいんじゃかと思います。盛り上がったし。

5/31 Tue 19:00 飯守泰次郎指揮関西フィル 第229回定期
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K466
シューベルト(コチシュ編曲):セレナード(アンコール)
ヴァーグナー:楽劇『ジークフリート』第1幕
ケマル・ゲキチ(pf)
竹田昌弘(t, ジークフリート)
片桐直樹(bs, さすらい人)
二塚直紀(t, ミーメ)

ゲキチはデムスの代役(震災のせいではなく、病気でキャンセルだそうです)なんですが、アンデルジェフスキのすばらしい同曲を聴いたあとだと、さすがに不利。アンコールのシューベルトの自由な演奏を聴いていると、この人はもっと遊べる曲の方が持ち味が出たんじゃないかなと思いました。
ジークフリートは良かったです。おなじみの竹田さん片桐さんはいつもながらすばらしいです。二塚さんははじめて聴きました。ミーメというとツェドニクとかグレアム・クラークみたいな鋭い声のイメージが強いんですが、二塚さんはもうちょっとリリックな感じ。でもこういうミーメもありです。飯守さんと関西フィルは文句なし。

2011-04-09 クレーメル・トリオ

ギドン・クレーメル(Vn)ギードレ・ディルヴァナウスカイテ(Vc)ヴァレリー・アファナシエフ(Pf) トリオ・コンサート

2011年4月9日 Sat 17:00 ザ・シンフォニーホール

シュニトケショスタコーヴィチ追悼の前奏曲
バッハ:シャコンヌ
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 op.108
−−−−休憩−−−−
ヴィクトリア・ポリェーヴァ:「ガルフ・ストリーム」
ショスタコーヴィチピアノ三重奏曲 第2番 op.67

当初予定されていたピアニストのカティア・ブニアティシヴィリが震災の影響で来日できなくなり、なんとアファナシエフに変更、曲目も大幅に変わるということで、あわててチケットを買いました。ちなみに変更前はこんなプログラムでした。

バッハ / シャコンヌ
ヴィクトリア・ポリェーヴァ / 「ガルフ・ストリーム」
シューマン / ピアノ三重奏曲 第3番 ト短調 op.110
チャイコフスキー / ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」 op.50

客の入りは7割ぐらいだったですかね。アファナシエフが出たということもあり、いろいろ驚きのある演奏会だったのですが、以下の感想はネタバレありです。ご承知おきを。

シュニトケショスタコーヴィチ追悼の前奏曲

 ショスタコーヴィチのDSCHとバッハのBACHの音型を元にして、ヴァイオリンとテープのために書かれた小品です。テープにはクレーメル自身の(たぶん)ヴァイオリンが録音されていて、一人二重奏をする形になります。この曲、クレーメルとガヴリーロフの弾いたショスタコーヴィチのヴァイオリン・ソナタのLPで、フィルアップ(というかショスタコーヴィチの前置き)として入っていたので、何度も聴いた曲です。ついでながら、シュニトケの曲を聴いたのもこれが初めてでした。

 今回初めて生で聴いたんですが、最初、舞台上のクレーメルが一人で弾いていると、途中から舞台裏のテープ演奏が加わってきて、そちらが主導権を取ります。こういう演出がシュニトケの指定なのかどうかわからないのですが、私には、舞台上のヴァイオリンが死者(ショスタコーヴィチ?バッハ?)への呼びかけ、そして舞台裏からのヴァイオリンが、死者からの応答であるように思えました。短いながら、非常に印象的な曲です。

◆バッハ:シャコンヌ
 クレーメル無伴奏は名演として有名ですが、今回の演奏も良かったです。昔みたいにめちゃくちゃ鋭いわけでもなく、ギコギコ汚いわけでもなく、なんというか、骨太さを感じる演奏でした。

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 op.108
 ここからアファナシエフが登場。このブラームスは完全にアファナシエフ中心の演奏になっていました。第1楽章では旋律がピアノに移るととたんに好き放題遅く歌い出すし、第2楽章では最初のピアノの和音が、伴奏という感じではなくて前に出ているので(ピアノの蓋も完全に開けてます)、力強いコラールみたいに聞こえます。好き嫌いはともかく、アファナシエフらしいとしか言いようがない面白い演奏ですね。

◆ヴィクトリア・ポリェーヴァ:「ガルフ・ストリーム」
〜バッハ、シューベルト、グノーの主題によるヴァイオリンとチェロのための二重奏曲〜
ギドン・クレーメルとギードゥレ・ディルバナウスカイテのために書かれた2010年の新作)

 川田朔也さんの解説によると、ポリェーヴァは1962年キエフ生まれの作曲家とのこと。副題を見れば、ああだいたいこういうことか、と気づくかと思いますがその通りで、バッハ=グノーとシューベルトの『アヴェ・マリア』を組み合わせたパロディです。といっても冗談音楽というわけではなく、美しい小品です。最初はチェロがバッハの平均律第1番、ヴァイオリンがグノーの旋律を弾くんですが、チェロのほうはときどき無伴奏チェロ組曲第1番のプレリュードに入れ替わったり、いろいろ工夫があります。後半は、ヴァイオリンが伴奏に回って、チェロがフラジオレットシューベルトアヴェ・マリアの旋律を弾きます。それにしてもなぜガルフ・ストリーム(メキシコ湾流)なんでしょう。

ショスタコーヴィチピアノ三重奏曲 第2番 op.67

 これもアファナシエフ主導なのか、全体に遅めで、ブラームスほどやりたい放題ではなかったですが、やっぱり重々しい、濃い演奏でした。特に第3楽章、最初の主題のところ、アファナシエフは和音を一つバーンとたたくと、いちいち手を膝の上に戻して、またおもむろにバーンとやるのです。この主題の重さを強調するためだと思いますが、これはちょっと驚きました。アファナシエフは、速いパッセージでは指が回ってないようなところもありましたが、まあそういう部分を聴くピアニストじゃないので。

シューマン:カノン形式の練習曲Op.56〜第3番

 アンコールは聞いたことがない曲でした。シンプルだけど優しいメロディの美しい曲で、誰の曲だろうと思ったら、ロビーにシューマンだと書いてありました。変更前のプログラムにあった、シューマンのトリオを楽しみにしてきた人へのサーヴィスでしょうか。いいアンコールだったと思います。

 終わってみれば、クレーメルよりもアファナシエフの存在感が目立った演奏会でありましたが、非常に面白かったので満足です。

地震について

地震で被災された方にお見舞い申し上げます。

現在のところ、我々にできることは非常に少ないですが、いろいろな記事をまとめると次のようなことが言えると思います。

・援助は、お金を信頼できる団体(日本赤十字など)を通じて送るのが一番。モノを送るのはゴミになる可能性が高い。

献血は有益だが、現在は病院や輸送手段が十全に機能していないので、しばらく経ってから。また、一度献血すると1、2ヶ月は献血できないので、献血者が一時期に集中しないように計画的に。

・素人が個人でボランティアに行くのはかえって邪魔になることも多い。どうしても行きたいならしかるべき組織に入ってから。

・節電は良いことだが、関西・中部から東日本に融通できる電力量には上限があり、すでに上限一杯送っている。チェーンメールtwitter等での呼びかけはトラフィックを増大させるだけなのでしてはいけない。

Google地震関連サイト
http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011.html

地震についてのリンクについては、このページがよくまとめられています。
http://blog.livedoor.jp/yumemigachi_salon/archives/51687668.html

原発については、もちろん心配な状況ではありますが、過度に不安を煽り立てることは有害です。下の記事は今回の事故がどういう性質のものであり、どういうことが起こりうるのかということを理解するうえで参考になります。
http://smc-japan.sakura.ne.jp/?p=956
http://www45.atwiki.jp/universal_meltdown/
http://bravenewclimate.files.wordpress.com/2011/03/fukushim_explained_japanese_translation.pdf

内田樹氏によるに「安全なところにいるもの」の心得
http://blog.tatsuru.com/2011/03/13_1020.php

デレク・C・ヒューム死去

 2月14日、ショスタコーヴィチディスコグラフィの著者であるデレク・C・ヒュームが亡くなったそうです。86歳でした。
http://www.dschjournal.com/news.html

私は第2版、第3版、第4版と持っているのですが、本当にヒューム氏の本にはお世話になりました。第2版と第3版は使い込んでぼろぼろになっています。

2010-10-09 上岡敏之/ヴッパータール ワーグナー・プログラム

10月09日(土) 兵庫県立芸術文化センター 大ホール

ワーグナー
ファウスト序曲
ジークフリート牧歌
−休憩−
ラインの黄金〉より「ワルハラ城への神々の入城」
ワルキューレ〉より「ワルキューレの騎行」,「ヴォータンの告別と魔の炎」
ジークフリート〉より「森のささやき」
〈神々の黄昏〉より「ジークフリートのラインへの旅」,「ジークフリートの死と葬送行進曲」
アンコール:ベートーヴェン:英雄〜第2楽章

 話題のコンビを聴きに行ってきました。CDでは異様に遅いブルックナーなどもありましたが、上岡さん、やっぱり個性的な解釈をする人ですねえ。一番際だっていたのが《ヴォータンの告別》で、楽譜にないはずの全休止を入れたり(それも長い!)テンポを落としたり速めたり、ちょっとストコフスキーとかを思いだすような解釈でした。個人的には、例のラーソーミーレドーというのが何度も繰り返されるのは、刻一刻別れの時が近づいてくる、押し戻すことはできない時の流れの象徴だと思ってるので、テンポをあまり動かさない方が好きなんですが、とにかく《指輪》全曲の中でも屈指の情感あふれる場面なので、こうやりたい気持ちもわかります。他の曲でも、《ジークフリート牧歌》の真ん中あたりがかなり速かったり、《森のささやき》の最初の低弦やクラリネットのなめらかな歌い方がシベリウスっぽかったり、いろいろと面白かったです。

 《指輪》抜粋というから接続曲みたいな感じにするのかと思ってたんですが、一つ一つにコンサート用エンディングの付いた形でした。《ラインの旅》は夜明けのあと「ドッソーミドーーレーミーファミレー」と壮大に主題が鳴る形じゃなくて、それを飛ばしていきなり「ドソーミドーレミドソーミドーレミ」に行く方のバージョンだったり(最近こっちをやる人って少ないような気がします)、《葬送行進曲》は「運命の動機」からではなく、だいぶ前のところからやっていたり、そういうところも個性的でした。

 アンコールは《ローヘングリン》か《マイスタージンガー》あたりかと思いきや、なんとベートーヴェンの《英雄》の葬送行進曲でした。これがまたアレグレットぐらいの速い演奏で驚いたんですが、室内楽的なアンサンブルの丁寧な演奏で、全然せわしない感じはありませんでした。

 オケは、もちろん超一流ではないけれど、いい音を持っているやる気のあるオケと感じました。上岡さんの指揮は、すべてに共感できるわけではないけれど、刺激的だし、自分の信じる個性的な解釈をあれだけ実現してしまっているのはやっぱりすごいですね。