3/14 関西二期会 ブリテン『ルクリーシア』

2009年3月14日(土) 16:00
アルカイックホール・オクト(尼崎)

ブリテン:歌劇『ルクリーシア』

男性語り手 根木 滋(t)
女性語り手 木澤佐江(s)
コラティナス 横田浩和(bs)
ジュニアス 大西信太郎(br)
タキニアス 油井宏隆
ルクリーシア 西村 薫(s)
ビアンカ 野村ゆみ(ms)
ルシア 北川真樹(s)

演出:中村敬一
指揮:奥村哲也
管弦楽:エウフォニカ管弦楽団


 私はブリテンのオペラってあんまり詳しくないんですが、生で見るのは、カーリューリヴァー、アルバート・ヘリング、ねじの回転に続いて4つめだと思います(大阪音大の夏の夜の夢を見逃したのは痛い…)。でもリヒャルト・シュトラウスの3つ、ヤナーチェクに至っては0というのに比べると多いですね。それはなぜかというと上演機会がわりに多いからで、上演機会が多いのはなぜかというと、今回の『ルクリーシア』のように、ブリテンが少人数で上演できるオペラをたくさん書いてるからだろうと思います。『ルクリーシア』は、普通は『ルクレティアの陵辱』と言われることが多いのですが、関西二期会では1979年に上演された際から「陵辱という文字のかもし出す雰囲気に違和感を覚え」、こういう題名にしてるそうです。とはいえ題名が変わっても内容まで変わるわけではなく、紀元前500年の話とはいえ、ルクリーシアという女性がレイプされて自殺する救いのない話です。

 このオペラがちょっと変わっているのは、ブリテンはこの話をそのままお芝居にするのではなく、男女二人の語り手(コロス)を設定し、彼らの語りによって話が進められることです。作曲者指揮のCDの解説書に載っている写真を見ると、語り手もローマ時代の扮装をしていますが、今回の上演では現代の黒ずくめの服装でした。

 今回の上演を見て一番面白く感じたのがこの二人の存在でした。まずこの役を歌った二人の歌手はすばらしかったです。特に男性語り手の根木さんは、張りのある輝かしい声といい、巧みな表現といい、見事でした。この語り手役、CDだとわかりにくかったのですが(というかこの演出がそうなっていたわけですが)、だいたい両端にいて出来事を語るだけでなく、中央で起こっているドラマに結構かかわっていくんですね。例えば戦っている人に武器を渡したり、受け取ったり、あるいは感情吐露の聴き手となったり。これによって、このふたりが単なる非人格的なナレーターではなく、「現代の観客とあの場面の間にいる観察者」として、感情を持った人間として登場していることが明らかになっていました。この演出は良かったです。

 演出で???と思ったのは、自殺して横たわるルクリーシアのベッドを立てて、十字架上のイエス・キリストに見立てたラストシーンです。確かにこのオペラ、陵辱の場面やラストシーンで、いくらか唐突にキリストのことが語られるんですが、じゃあルクーリシア=キリストかというと、それこそちょっと違和感を感じました。ただ、この歌劇、物語も音楽もわかりやすいんですが、それによってブリテンが表現しようとしたものは、現代の日本の聴衆である我々が正しく受け取るのはかなり難しいものであるように思います。そもそもこの歌劇が書かれた1946年、戦争もレイプも死は現代よりもずっと身近なものであり、救いとしてのキリスト教というものが意味するところも現在と相当に違っていたわけです。それを我々が想像するのは簡単ではないわけです。というわけで、この点についてはあまり自信を持って何か言うことは出来ません。ルクリーシア=キリストというのも、時代状況やキリスト教に詳しい人なら納得できる見立てなのかもしれません。

 演奏については歌もオーケストラも全く不満はありませんでした。演技も良かったです。ただ、ユニウスという人物については、これは誰が悪いというより台本そのものの問題なのかもしれませんが、「お前がけしかけたからルクリーシアは死んだのに、なんでラストで第三者みたいなこと言ってるの?」という疑問がありまして、これはこの上演を見ても解決しませんでした。悪役に徹するなり、良心の呵責を感じているような表現をするなり、何か腑に落ちるような解釈が欲しかったところです。

あ、字幕訳については文句なしです。下のエントリーで書いたようなところもちゃんと正しくわかりやすく訳してくれていました。